台風が過ぎて行きました。朝、新聞の見出し見て心が痛かったです。やはり甚大な被害でした。21人が亡くなられ、55人もの人が行方不明・・崩れ落ちた山の土砂が裾野の集落に雪崩れ込んで、民家が押し潰されてる光景がテレビに映し出されていました、本当に哀しい。今年はなんて年なんでしょう、被害に遭われた方々に心よりお悔やみ申し上げます。
我々の地域は幸いにもあまり被害が出ず、ホッと胸をなでおろしておりますがそれは今だけ、いつ何時あのような被害に遭うのかわかりません。
建設業界は役所からの出動命令が出れば、直ちに土嚢を積んだり瓦礫の撤去などの作業をしなければならないので、台風の前はけっこう緊張して皆経緯を見守ります。
でも今年はいつもの年より台風の進路をドキドキしながら確認してました。もしこの地域に直撃でもしようものなら、関屋川が氾濫してしまう・・・って心配するからです
毎回それは心配しているのですが、なんか今年は特別心配してます。やっぱりあの大きな震災の影響でしょう、うっそー!!って声しか出ないような、ひどい事態がいつ何時私達の身の上に降りかかって来るかわからないって、覚悟みたいなものを持つようになったからです。
うっそー!!・・・思えばあの震災を撮影したホームビデオの恐ろしい映像の中で、聞こえて来る被災者たちの声はこの言葉ばかりでした。 おそらく私もあの場にいたらこの言葉しか出ないだろうって思いました。 黒い水が目の前で、家も、自動車も、畑も、木も、郵便局も、役場も、銀行も、病院も、学校も・・全部流して行くんですから。
この表現は適切でないって叱られるかもしれませんが、ある意味、平等にみんな流されてまったなって思いました、天災(運命)の前ではなすすべもなく。
あの映像の中には一切映ってはいないけれど沢山の人々も流されていたんです。 その中には、大金持ちも、借金いっぱい抱えてる人も含まれてたんでしょう。 百歳で陸上やってたお年寄りも(テレビで見た)、寝たきりの老人も、 すごく前向きで頑張っていた人も、ぐちばっか言ってた人も、 学校の先生も、消防士さんも、町長さんも、 一家の大黒柱のお父さんも、子供たちの大切なお母さんも、愛の塊のような小さな子供も、赤ちゃんですら・・・容赦なく。 なにせ二万人以上もの人が亡くなったんですから。
こんな事もあろうかと普段からコツコツいい事しておいたから大丈夫だった、なんて事一切なく・・ 助かった人はと言えば、少しだけ早く高台に逃げたからとか、たまたま流れてきた材木につかまったとか、わずかな幸運で大きく明暗を分けていたんです。
私など、3年欠かさず買ってるロト6も千円が3回ほど当った事しかない運 しか持ち合わせていないんだから、こんな災害にあったら、まず真っ先に流されてしまうんだろうって、今は確信みたいなものを持っています。だから・・怖い すごく。
今までの、大した幸運もない代わりにこんな大きな災害にも遭わないって、根拠のない安心感は一変、急に怯えだすこの小心さ・・・ でもどんなに図太くて勇敢な人も、日本列島に住むほとんどの人は、あの日以来 楽観的な観念が変わったのではないですか? 自分の身にも何が起るかわからないって
とにかく日々災害には気を付け、備えあれば憂いなしで過ごして行かねばなりません。 備えても憂い。再び備えても憂うのかもしれませんが、負けずにやっぱ備えていくしかあの残酷な平等には太刀打ちできないんでしょうね。そうみんなが思わなければ、二万五千人の亡くなった方々の命の意味が何だったのって事になります。
まだまだ台風は来るでしょう。気を抜かずに行きたいと思います
PS・台風が過ぎて稲穂が倒れちゃいました。稲刈りする皆様ご苦労さまです